左が32年前の「POPEYE」創刊号。右が本日発売された「Oily Boy」
創刊当時、地方都市で多感な高校1年生であった私には刺激が強すぎました。思いは東京を越えて一気にカリフォルニア。ジョギングをしたり小遣いを貯めて一番安いスケボー買って滑ったり、UCLAに行きたいと言って親を困らせたものです。きっと同じように思い立って留学した人もいたことでしょう。その後も誌面に展開されるライフスタイルは好き嫌いはありましたが、毎号わくわくして読んでいました。創刊以来150号くらいまで買い続けストックしていましたが、さすがにスペースの問題もあり、ある時の引越を機会に大量に処分。手元には創刊号と2号のみしか残っていません。
今回の「Oily Boy」の表紙は創刊号と全く同じもの。故堀内誠一氏のご家族のご厚意により再使用できたそうです。懐かしさのあまり手にとってしまいました。
今アメリカでは、ロサンゼルスでは、なんて話ばかりで、アメリカかぶれが鼻につきました。
そんなにアメリカの子になりたいならアメリカの子になってしまえ、バ〜カ。
などとも思いましたが、その影響力から無縁でいられる訳はありませんでした。
最初に感じた反感もどこへやら、私も随分買いました。青と黄色のUCLAのロゴ、流行りましたね。
投稿情報: kawa | 2008-12-05 02:26
Boys be ambitious 若い時は夢があっていいね。しかし本当にUCLAへ行ってたらy子との出会いもなかったね。
投稿情報: Takeo | 2008-12-05 10:13
kawaさん。多分年齢的なことや、東京と高知の地域差により感じるところの違いがあったと思われます。よく覚えていないですが、当時それほど都会志向はなく、ただ、既成概念に囚われなく生きていきたいと思っていたのでアメリカンフリーダムにあこがれました。ポパイの誌面から流れてくる自由な発想は、好き嫌いありましたが(ここ大事です)元気をもらっていました。
投稿情報: a | 2008-12-05 13:44
takeo様。たしかにそうですねでも、行っていたとして、絶対出会わなかったとはいいきれないところが人生ですね。
投稿情報: a | 2008-12-05 13:47
今日立ち読みして来ました。
現行のポパイも時々見ます。森三中・大島の結婚生活の記事が毎回楽しみです。それ以外の記事(洋服や音楽)はほとんど理解不能です。しばらくぶりにズボンを買おうとしたら細くてびっくりしました。
世の中について行けないおじさんが私の他にも沢山いる事に気が付きました。
ロック54はおじさんにも良く分かりました。
上田さんはもう少し新しい所がテリトリーかなとも思います。
投稿情報: kawa | 2008-12-08 21:29
kawa様
ロック54はほとんどテリトリーです。高校時代に聴き込んでいたものばかりです。ただ、当時渋谷陽一のrockin'onを購読していたので、正直このおふたりは眼中にありませんでした。
投稿情報: a | 2008-12-09 02:39